02年、世界に先駆けてイーハトーブで
正式デビューのスコルパTY-S125Fプロトタイプ。
1973年から、あるときは選手、あるときは開発ライダー、あるときは企画担当者として、ヤマハの歴代トライアルマシン開発にすべてかかわってきた木村治男さん。いまの日本のトライアル界で圧倒的な普及台数を誇るスコルパTY-S125Fは、その木村さんが「だれでも乗れる性能と価格のトライアルバイク」を目指して、彼の個人的情熱から2000年に開発を始め、03年にフランスのスコルパ社から市販されたバイク。そして、その主要な開発舞台となったのが出光イーハトーブトライアルだった。その理由は、標高差1000m以上、距離350kmにもおよぶクラシック(2日間トライアル)のコースと、変化に富んだセクションの種類など、トライアルマシンの開発に必要な条件をすべて備えていたからだ。
第25回大会の直前、「今度のイーハトーブに自作マシンを持ち込んでもいいですか?」と、木村さんから電話があったとき、私は即座に快諾した。出光イーハトーブトライアルでは、トライアル競技の参加車両は原則として「トライアル車に限る」ことになっているため、一般車を改造しての参加は認めていない。しかし、彼はつねに日本のトライアル界発展の中心人物として活躍してきたのだから、また面白いことをやってくれるに違いないという期待が湧いた。
楽しみにしていた大会当日に現れたのは、インドネシア製4サイクル125ccの実用車エンジンを積んだ手作りバイクで、なんとセルモーターまでついていた!つまりそれが「だれでも乗れるバイク」=後のTY-S125Fの原型だったのだが、市販までの道のりは平坦ではない予感がした。
第一の理由は、トライアル車の販売見込み台数が、日本のバイクメーカーの規模から見ると少なすぎること。もうひとつは競技用としてよく出来たバイクでも、日本の路上を走れる仕様にすると、各種の規制対策と、リコールを避けるための耐久性が第一優先となるため、結果として競技では使い物にならない鈍重なバイクになる恐れがあったからだ。
次の年、01年にもそのバイクは出光イーハトーブトライアルにやってきた。この頃にはTY125Fと呼ばれるようになって、性能はかなり優れていることがその走りっぷりから伝わってきた。しかも初登場のすぐあとから仙台のバイク用品店「トレックフィールド」が、このバイクの市販化を熱望するサイト「TY125F勝手に応援倶楽部」を立ち上げ、開発関係者にとって大きな援護となっていた。
http://ty125f.gooside.com/
だが、多くのライダーたちから市販の時期を聞かれても、木村さんはまだ明確な返答ができなかった。しかし、すでにこの頃はフランスのスコルパ社で生産し、それを輸入・発売する計画が進んでいたのだろう。
はたして、翌年、02年の出光イーハトーブトライアルに現れたTY-S125Fはスコルパの車体で、見るからに市販のプロトタイプとなっていた。しかも、この記念すべきバイクに乗ったのは木村さん本人ではなく、ヤマハの女性社員、岡本さんであった。トライアルの経験はまったくなかったという彼女は、TY-S125Fが「誰でも乗れるバイク」であることを証明するために、いわば素人代表として出光イーハトーブトライアル・ヒームカ(当時の初級向け2日間トライアル)に参加した。木村さん自身は前年までのTY125Fに乗って、ひたすら彼女を完走させるためだけのアシスタントに徹した。そのかいあって、見事に七時雨山荘にゴールした岡本さんは、あふれる涙を止めることができなかった。今思い出しても、彼女は木村さんから託された願い=重圧を背負いながら、本当によくやったと思う。
そして、翌03年、出光イーハトーブトライアルの直前にTY-S125Fはフランスから輸入・発売され、納車が間に合った少数の幸運なライダーたちが大会に参加し、その性能を大いに楽しんだ。さらに06年にはイーハトーブトライアル仕様ともいうべき5リットルの燃料タンクと快適なシートを備えたTY-S125Fロングライドも発売され、ますます人気に拍車がかかった。
生まれ故郷である出光イーハトーブトライアルにずらりと並んだTY-S125Fを見るたびに、木村さんは本当に立派な仕事をしてくれたと私は思う。いまやTY-S125Fは、日本のトライアル界発展だけでなく、世界のトライアル民主化に大きな貢献をしている。そして、出光イーハトーブトライアルがその縁の下の力になったことは、私たち主催者一同の大きな誇りでもある。
(万澤安央)
興味深々の参加者たち。
開発者、木村さんの顔も見える(左から4人目)
重責を担って参加の岡本さん。
左のバイクが木村さん自作のTY125F。
めでたくゴールで、本人も周りもホッとしました…(笑)
このページのために、木村さんが特別コメントを寄せてくれました。ちなみにTRはトライアルの略語です。(万澤)
TR車両市販までの道のりは、何時も通り?に苦難の連続です・・・
しかし私自身の気持ちは「これほどにも楽しいTRを、一人でも多くの人に知ってもらいたい」。そのための苦労は望む所です。
自身が提案したバイクが市販されて、使ってくれた人達が笑顔の中で「楽しいです・・・」と一言、言ってくれること。それだけで、全ての苦労は報われて、幸せな気持ちになれます。
このTYS125F企画は万澤さんをはじめとする、イーハトーブTR実行団の皆様のご理解やご支援、「TY125F勝手に応援倶楽部」を通じての沢山の人達の激励で成し遂げる事が出来ました。
みんなで作ったバイクと言うことを、自身の感想とさせていただきたいと思います。
(木村治男)